津久井やまゆり園事件追悼式 とも生き憲章は何をめざすのか
神奈川県主催の津久井やまゆり園事件の追悼式が、7月26日を前に、22日、今年も相模女子大グリーンホールで開催され、ご遺族、関係者、県内自治体の長、国県市の議員ら約300人が参列しました。3年目を迎えます。
障がい者の存在を否定した犯人による卑劣な殺傷事件。私は犯人個人への怒り以前に、いまの社会の風潮を反映した事件であると感じました。(事実、犯人が事前に衆議院議長あてに出した手紙には自分の行為が理解されることを期待した記述がみられます)
政治は何をなすべきか、われわれは何をなすべきか考え続けています。
県立の施設で発生したことを重く受け止め、我々は行政側も議会も一体になって「ともに生きる社会かながわ憲章」を策定しました。あまりに性急な憲章案に疑問をもちつつも、そこに魂を入れていくのが今後の課題だと思いなおし、憲章に賛成した経緯があります。
事件後3年が経ちました。津久井やまゆり園の建て替えに関し、入所者のみなさんの次なる暮らしの場の確保のため、意思確認など職員、関係者のみなさんの努力は続いています。
しかし、知事の追悼の辞はまたも犯人への《怒り》を述べていました。いつまで犯人一個人の責任に帰しているのか。怒っている場合でしょうか。「今後とも理念の普及に努めてまいります。」こんなご挨拶が事件現場である津久井やまゆり園を所管する自治体の長がいうことでしょうか。
理念が普及すれば共生社会が実現するとでもいうのか。社会的な制度や支援施策を充実していくことが県行政の務めではないのか。その意味では相模原市長は自治体の施策に減収する追悼の辞を述べられていて、その発想は至極当然だと思いました。
憲章の制定は議員の中にも党派を越えて共生社会への意識が育まれ、憲章を引用した議会質問も増えました。そして共産党県議団は、理念だけ述べた憲章にとどまらず、その具体化として実効性をもつ差別禁止条例の制定を求めていますが、それには着手していません。
一方、国においては旧優生保護法に基づく強制不妊手術に対して各地で訴訟が起こり、被害者の救済に向けて強制不妊救済法が制定されました。書類が無くても賠償金を支払うという国の姿勢は、少なくとも書類の無い被害者を排除しなかったという意味においては評価できます。神奈川県議会でも女性の活躍推進議員連盟がたちあがり、この強制不妊手術の問題では超党派で勉強会を行っています。津久井やまゆり園と問題の質は同じです。
1939年からナチス・ドイツが展開した、T4作戦という優生思想に基づいた安楽死作戦では、各地の映画館で上映前に障がい者の姿を映し、この人たちにこのくらいの税金が使われている、と流したそうです。まさに国民分断の手法。戦争に注力する国家が、個の尊厳を顧みず、国家にとって有益か否かで評価する。安保法制が国会を通過したとき、多くの障がい者のみなさんから強い不安の声を聴きました。
昨日の神奈川新聞に哲学者の山内章郎さんの論説が載っており、能力主義に対するアンチテーゼについて語っておられました。自身、ダウン症のお嬢さんと暮らしておられます。能力主義が支える優生思想は人類史を貫いてきたと。そこに例証される著名人の差別発言の数々は目を覆うばかりですが、時代の進化に伴って人の認識は変わっていくし変えていかなければならないと思います。(逆に今の自分の中に将来恥ずかしいと思われる認識の欠如が恐らくあるのだろうと思ってもみたり。)
個の存在をそのまま尊重できるかどうかは社会の成熟度が問われます。党の同志が高福祉を学びにデンマークに留学した体験を聴きました。障がい者を全く特別視せず、登山をするとなれば、迷うことなくみんなで車椅子を運び、留学先の大学には当たり前のように車椅子の担任がついた。と。
今、この国には特別支援学校だけに設置基準がないという差別があります。神奈川県の教育現場には障害者差別が厳然としてあります。差別を助長するような現状が放置されています。子どもの心を育む現場での差別。まずはここから改善をしていかなければなりません。