ありがとうクローゼ by黒瀬
夜遅くなった会議であくびばかりしていたので
「あ、大山さん眠いのね」といわれ、
あれ?なぜこんなにと思うと、今朝、決勝戦を見るために早起きしたことを思い出した。
夜、うちに帰ってきて呆然とした「w杯もうないじゃん…」
毎朝眠気と戦ってみてきたのに。今朝は決勝戦が長引いたから家族の朝ごはんはお茶漬けになってしまったのに。
w杯ロス症候群…
ところで写真はドイツのクローゼ。
敬愛するFW。Wikipediaによると…
ミロスラフ・クローゼは、ポーランド・オポーレ出身のドイツ代表サッカー選手。ポジションはFW。セリエA・ラツィオ所属。 ドイツ代表での出場は歴代2位、得点数は歴代最多。FIFAワールドカップでの通算得点数16は歴代最多の記録である。 ポーランド生まれ。ポーランド語の表記法ではミロスワフ・クローゼ
ふうん、ポーランド出身だったか…。
私が彼を見染めたのは12年前!の日韓W杯。
2002年。息子は幼稚園の年中さんで母に床屋に連れていかれ、ベッカムと同じヘアスタイルにされていた。
でも母が好きだったのはドイツFWクローゼだった。
いかにもドイツ人らしい顔がタイプなのではなく好機をとらえて逃さない天才的な嗅覚を尊敬していた。
当時、自身も子どものサッカーの縁で親たちや先輩である青年たちと毎週フットサルをやっており、これまた異彩を放つFWだったからだ。
オフサイドがないのをいいことに相手GKより前で張っているという自分を評して「超攻撃的ストライカーでしょ?」と言っていると「や、たまには守備に戻れよ(・・;)」と言われていたっけ。
おばさん向けに緩いクロスを送ってくれるのに合わせられずにカラぶったりなかなかにご迷惑なプレイヤーであり、そうそう、メールアドレスの@の前,fantananaはファンタジスタであらんとした当時の私の気負いの表れ。コーチ業をしていた19歳の青年に「う、うん、ある意味ファンタジスタ」とお墨付きをもらったものだ。
そんなわけでクローゼ気取りの私はチーム内連絡メールに黒瀬と名前を使い、「なんだよアレ」と理解されなかったものだ。
そう、クローゼ。4大会連続でw杯に出場していたのだ。
さすがだ。最多得点?さすがだ。
そんなクローゼが試合終了間際に交代させられた。36歳
息子が一言
「もう、最後かもね」
私も同じ思いがよぎった。でも本当は40歳で挑戦してほしいと思いつつ。
私「(応援してた)アルゼンチンは負けちゃったけど、クローゼの最後に立ち会えたからいいか」
息子「『立ち会えた』って…(・・?)」