大山奈々子
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戦争遺跡保存全国シンポジウムで元中国大使丹羽氏の講演を聞く

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明治大学生田キャンパスを訪れました。以前、慶応大学のキャンパスの中にある日吉台地下壕、連合艦隊総司令部跡を見学させていただいた時に全国で戦争遺跡を守ろうというネットワークがあることを知りました。

今回、参加させていただいて、その豊かな内容に驚きました。全体会と分科会、フィールドワークが三日に渡って行われます。全体会のオープニングには川崎市民合唱団いちばん星の合唱も聞くことができました。

また、たとえばフィールドワークは登戸研究所、日吉台地下壕、陸軍歩兵101連帯、東京大空襲と第五福竜丸、多摩地域の戦争遺跡と五コースもあります。

テレビの街角インタビューで終戦記念日を知らない人が半数にもなり、心の継承が難しい今、こういった形あるものを継承する意味が一層重要になって来るという繰り返し語られた言葉は全くそうだと思いました。デモをするわけでもない「ソフトな平和運動」だとおっしゃっています。

資料の中に「2002年8月9日畑野君枝参議院議員が文化庁より入手した資料より作成」という地域別の戦争遺跡が列挙されているものがありました。畑野さんの貴重な取り組みのひとつです。

ハードな平和運動を展開したい私はこの提示のしかたがソフトすぎるやろと内心思ったのは事実です。

畑野君枝(日本共産党)と書いてほしいな。なんて。

ま、それはともかく、こうやって第18回を迎えるこのシンポジウムを運営してこられた地道な活動には本当に頭が下がります。

登戸研究所は以前から存在は聞いていたもののなかなか訪れるチャンスがなく、今回短時間でしたがいけてよかったです。戦争のもつ罪の多様さを見ました。

入口に造形作家の武田美通さんの作品が展示され、これがまた訴求力がすごいものがありました。

戦死者や戦没者の無念を鉄の残骸で表現するもの。

戦死者からのメッセージも胸を掴むものがあります。

作品の貸し出しもしていただけるとか。

港北で何かイベントするときは

ぜひ借りたいとおもったものです。

私の写真ではわからないのでご覧になってください。

http://marina.life.coocan.jp/

さて、記念公演は前中国大使、丹羽宇一郎氏による「アジアの平和と日中関係のこれから」ベストセラー「中国の大問題」の作者だから聞いといたら?とアドバイスくれた先輩があり、行きました。

まさに、中国が攻めてきたらどうすんの?とよく聞かれる身としては興味深いところ。

含蓄のあるお話でした。

骨子は今の情勢に対する両国への苦言と理解し合うことを旨とした平和への示唆。

25年前はとるに足らなかった中国が今は経済的にも人的交流でも世界に大きな影響を及ぼす国。

首相同志が対話できない今の日中関係は異常。

実際は中国人を知らない日本人、日本人を知らない中国人が多い。知らない中で嫌悪感を募らせている。

明治維新以来戦争を繰り返してきたわが国がいま平和を享受していられるのは憲法の9条のおかげ。1972年の日中国交正常化以来この二国が平和な関係を維持してきたためにアジアでどれだけ多くの国々が独立できたことか。

32代23人の首相と⒑数名の中国の首脳が築いてきた平和を安倍と習近平が壊していいのか。歴史の重みと先人の努力に敬意を表して平和への努力をしなければならない。

靖国問題と尖閣問題が二国間の大きな障害になっている。

1972年以来4つの共同声明を重ねてきている。互いの領土資源を尊重するというものだ。両国で姉妹関係の都市は380もある。

この歴史と先人の努力を無視すること晴K氏に対する不遜であり、国民への反逆であり、42年間の努力に対する暴挙であり、世界の笑いものになる。

戦後レジュームを修正したり挑戦したりする動きがあるが日本と中国だけの問題ではない。1945年に日本はポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ講和条約に

調印している。中国との関係だけで事はすまない45か国の連合国に対して約束したことだ。極東軍事裁判の結果を受け入れなければならない。

時の国民の心情が一刻も早く戦争を終わらせたかったからこそ無条件降伏したのだ。サインした以上受け入れるべきなのだ。

一方中国も抗日戦争勝利記念日や南京大虐殺追悼日を法律で祝日と決めている。祝日ではなく両国で追悼の日にしていくべきである。お互いが努力していくべき問題を抱えていると意識しなければならない。たくさんの人が交流しなければならない。

理解し合わなければならない。

ざっとこういうニュアンスのことを詳細な数字を混じえて語られました。

大使時代、残留孤児を養育してくれた養父母に私費で感謝状を渡して歩かれたお話は氏の誠実さを表すエピソードとして、心に残りました。

また、日本軍の遺棄化学兵器がいまなお中国の人々の生活に支障を与えている話はさすがに現地を知り尽くしている方だと思えました。

また、日本の知識人を批判した以下の論調も痛快でした。

長崎被爆の日の被爆者の言葉を例に引いて。

それまでの例年通りの来賓あいさつに対する怒りが爆発したかのような、二度と再び戦争をしてはいけないという魂の叫びだったと。有識者は黙っていてはいけない。

勇気をもって語れと。社会的な孤立を避けるために優勢な理論に口をはさむことをしないことは沈黙のらせんを生むと。偏った意見を増幅させるものだと。

平和はタダではない。人の努力の結晶だ。血と汗と自戒が生み出した。血の汗と歴史の時間が平和を紡ぎ出していく。

だらだら書きましたが、メモを見返してもしみじみ考えさせられるお話でした。やはり武力ではなく対話です。