胡蝶蘭二題
今回の選挙の出陣式、お母さんに連れられてきた小さなお子さんたちが、1つずつ小さな花束を持ってきてプレゼントしてくれました。
また、選挙後は、初めて共産党の選挙を応援してくれたママ世代の方が、「事務所は花束であふれているでしょうから、目立たないかなと思ったんですけれど…」といいながら、小ぶりの私と白井市議それぞれのカラーを配した花束をくださいました。
(先のお花と合わせて二つのお花、どれだけ嬉しかったことか!こう見えても団子より花のヒトなんです、私。)
「当選祝いの場に胡蝶蘭がないんですか!?」
え?ああ、そういえばあるようですね。共産党の事務所に胡蝶蘭が無いことを不思議がる方が新鮮でした。
後日、地域回りをしていた際、お花屋さんに立ち寄ってご挨拶した際、「こちらのカーネーションの緑は着色ですか」「いえ、緑は自然の色ですよ」みたいな会話のあと、この花を見つけ、これはさすがに着色ですよね、と聞くと、それは造花ですね、と。お祝いにくださいました。性の多様性を尊重できる社会にしたいと願う象徴のレインボー♥
さて、このお花屋さんで「選挙が多くて胡蝶蘭が品薄で困る」とうかがいました。まさに前段の話と噛み合います。「東京でも品薄で取り寄せるのに苦労する」とのこと。さぞかし…。
「でも、ということは、お花屋さんにとっては選挙は歓迎ですか」
「いえいえ、卸している方は違うでしょうけれど、一般のお客さんにお売りする分がないので困りますね」とのこと。
お花屋さんの前だったけれど、胡蝶蘭農家さんには申し訳ないですが、胡蝶蘭への思いをつい、述べてしまいました。
「私は正直、胡蝶蘭は嫌いです。なんだか楽屋の前とか開店記念とかずっらーっとほとんど個性もなく並んでる映像をたまにみるんですが、とても高価なものだけに、『はい、高い花贈っておいたぞ。これで義理果たしたろ。』みたいな雑な感じを受けちゃうんですよね。あ、でもあの薄ピンクのは可愛いですね」…。
一緒にいた地域の方に、「というわけで私には胡蝶蘭は贈らないでくださいね」と言っておきました。まるでその心配はなさそうでした。
胡蝶蘭に罪はありません。小学校時代愛読していた『詩とメルヘン』に「あざみ」という詩が載っていて、あざみの花がアザミという名をつけられたことの哀しみみたいなものが語られていたっけ。
ちょっと話がずれましたが、高価だという付加価値ゆえにそういう使われ方をする胡蝶蘭が可哀想かもしれません。