東日本大震災かながわ追悼の夕べ
3月10日、2014年から追悼の夕べを開いてこられた実行委員会のみなさんによって今年も象の鼻パークで開かれました。ここは、2016年当時37歳の県職員さんがパワハラのために最後に命を絶ったところでもあります。そういう思いもあわせて抱きながら参加させていただきました。
今年はウクライナをロシアが侵略し、原発に攻撃を加えているという情勢の中で開かれ、避難者の方々が当時自分たちが逃げ惑った姿がウクライナの避難するみなさんの姿に重なってつらいということが語られました。ウクライナ出身で生後一か月でチェルノブイリの原発事故に遭遇し来日して一時の母となってから福島原発事故を経験されたカテリーナさんによるウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏と歌唱もあり、それに先立ち、駐日ウクライナ大使も登壇され、日本のみなさんの応援に支えられている旨のご挨拶がありました。カテリーナさんは「ウクライナのママがやっと国境を脱出できたが、友人たちはまだ逃げられずにいる、ママを日本に呼びたい」と語っておられました。彼女のうたうウクライナ語の「マリーゴールド」や日本語の「故郷」、そして「イマジン」本当に痛切でした…
願いを書いたキャンドルに灯がともされ、幻想的な中で鎮魂の祈りと平和を希求する祈りがささげられました。
ちなみに私は2分間の時間をいただきましたので次のようなご挨拶をしました。
「311以来、石巻や南相馬の救援センターを経由し数回訪ねご要望をうかがい議会につなぐ活動をしてきました。原発は誘致の時から地域を分断してきたこと、補償の問題でも分断が起こっていること、ご自宅のことを屋敷と呼ぶみなさんが多く、三世代で暮らしておられた方々が多いこと、それが叶わなくなり悲嘆に暮れる方々の思いを知りました。回を重ねるごとにそれでも前を向いて生きていこうと努力される方々の姿にこちらが励まされたりもしました。神奈川県は避難指示区域外からの自主避難者への補助を2019年3月には福島県と歩調を合わせて打ち切ってしまいました。私たちはその姿勢を改めるべきと求めましたが。この春、経済産業省は原発処理水は安全というチラシを各学校に直接送付するという事態になりました。東北では漁業者へも配慮しチラシを回収したり学校に留め置く措置を取りましたが、神奈川県はそこも特段の動きは取りません。
福島でもウクライナでも真面目に暮らしていた方々が政治に翻弄されて故郷や命、健康を奪われる事態があってはなりません。憲法の精神を生かし暮らしと命を守る政治本来の役割を果たさせるよう頑張ります。」
畑野君枝前衆議院議員もかけつけ心を一つにしました。