大山奈々子
大山奈々子大山奈々子

勝プヌードルはいいけれど、塾を熟考する。

ブログコメント6

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ウケた。

息子が河合塾の体験に行ってもらってきた。

「わ、これ、ママがもらわなきゃね」

「お、だよね。あげるよ!」

という感じで息子からもらうことになった。と、ここまではなごやかだった。

 

そのあとムードが暗くなった。

春季講習に行くという息子に面白くなかった私は「学校は何をしてるの?」というセリフを言ってみる。これはどこかのヨーロッパの女の子が、日本では学校以外に塾にいくのだと聞いたときに言ったと伝え聞いた言葉。

それを聞いたときには「ほんとにそうだよね~」と思ったものだった。世界では日本ほど塾が普及している国は4か国しかないと聞いたことがある。わけても横浜は昔から塾に通う子が多いと言われている。母親的には学校は、ではなく学校で何してるの?という気分。夫は横浜育ちだが、周りの子たちが半数以上は小学校から塾に行っていたという。40年以上前でもだ。

一方私の小学校時代、京都は塾に行っている子はクラスに1人だった。

なのに今やわが子の周りは塾だらけ。当然のように塾にいくのはやめようよ。と思う。

息子も娘も高2、中2までは塾なしできた。周りが当たり前のように塾に行く中で彼らは行きたくなかったし、私も元公立高校教師の意地もあって、学校ですべて学べ。という気分だった。

【娘】

ところが、娘が周りの子たちがいくからと体験にいき、先生に褒められたことがうれしくてそのまま入塾してがんばるといい、夫は娘の熱意を買うと言い、私は彼女に関してはろくろく勉強してこなかったので、自分で計画的に勉強しないで塾に敷いてもらったレールに乗るのか、と言い。娘はいい高校に入ったほうが人生得するもん、ママの人生じゃないじゃんと言い。私は塾にいっていわゆるいい高校に入ったところで、夏休みの工作を工作キットを買って作るようなイケてない感じがする。本当の頭の良さにはならない気がする、と言い。

それでもあまり子育てに関われていない弱みで夫と娘に押し切られ、娘は通うようになり、夜の10時半に帰って来るように。(´・ω・`)夫の弱みである安全性を盾に「こんな小さい女の子が夜の10時過ぎて外歩いていてもし何かあったらパパのせいだよ」と言ってみるけれど効かなかった。教育パパママが多い環境でも我が家はのんびり子育てしてきたのに夫と初めて教育観が違ってきた。(;_;)

娘の友人のどの教科も98点近くとる子も塾に行くという。

【息子】

そして今日は息子である。高2の今まで塾に行かず頑張ってきた。そういうタイプの子だった。ところが今日は春期講習の話がでてきた。

「学校は何しているの?」と繰り返し、改めて「ちゃんと勉強しているのになんで塾にいくの?」と聞くと、授業の質が違うときた。

何?!”(-“”-)”質?お金出して通ってきている子たち相手と学校の授業ではやり方もちがうだろうに。「学校の先生だってがんばっているんだよ」と先生をかばってみる。

「自分の価値観押し付けないでよ。俺今まで頑張ってんじゃん、春季講習だけだよ」

「…(確かに、押し付けている)…」

夫が「ママだって予備校行っただろ」私(;・∀・)「あれは浪人してからだし…」

【私の意地の背景に】

下村文科相が塾業界との癒着を取りざたされている。週刊文春のこれや赤旗のこれをご覧ください。

また、2007年、国の教育課程審議会会長だった三浦朱門氏は新学習指導要領の答申の最高責任者としてかかわっていたが、その7年前には取材を受けて「出来ん者は出来んままで結構。100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす。限りなくできない非才無才は勉強などせず実直な精神だけやしなってもらいたい。落ちこぼれに金と労働力をつぎ込まず効率よくエリートさえ育てばよい」と答えている。

一部のエリートだけ育てばいいと考える人物を教育行政の要にすえて、文科相が塾とつながっていて、一クラスの人数が他の先進国と比べても15人近く多く詰め込まれ、学校の先生の数は足りなく、非正規雇用が常態化し、こんな中で子どもたちは遊んだり読書したり文化に触れる時間を削られ、わからない子は塾に行き、わかる子も塾に行くムードができている。そして自己肯定感が世界最低になっている。

わが子はせめてこの波に呑み込まれないでほしいという私の願いは空しくなりそうだ。政治を変えるしかない。お金があって塾に行ける子しか勉強がわからない、塾に行けない子は勉強がわからないではだめなのだ。

娘の懇談会で中学の担任の先生に「みんな塾に行っているんですか?」というと力なくうなづいて「はあ、ぼくらもがんばって工夫しているんですけどね…」とつぶやかれた。

努力する先生の力が生かされる教育現場でなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント

  1. 海原雄山より

    あーんー・・・考えさせられてしましいました。
    学校の授業は単に知識を与えるもので、塾(予備校)は学校受験を目的としたものですからね。(私の考えですが)
    ママ(大山さん)が「学校は何をしているのか」の気持ちはわかりますけど・・・息子さん娘さんの立場ですと、周りの友人やクラスメートが先だって塾に通う姿を見ると、自分が「置いてきぼり」にされるという不安感がでます。「いい高校」「いい大学」に入りたい、だから塾へ行く。それもいいでしょう。しかし自分は将来何になりたいか?それが重要です。
    そのためには、どの学校へ入り何を勉強したいのか?息子さん、娘さんの将来へのビジョンを今から明確にすべきでしょう。
    では「いい高校」「いい大学」とはどの学校の事を言うのでしょうか?早稲田?慶応?それとも東大?たしかに「一流校」出身であれば、世間の見る眼がちがうでしょうが、高校・大学の勉強(授業)なんて皆同じだと思いますよ。要は将来大人になったら何をしたいか?そのためにはどの学校へ行き、何を学びたいのか?家族でよく話し合って下さい。ただ漠然と「いい高校」「いい大学」行きたいだけでは自分の意に沿わない不幸な結果になります。
    「この日本は一部のエリートだけで成り立っている、お前らはそのエリートのために生きるだけだ」と、私が子供の頃、誰かに言われた事があり、何かものすごく違和感を感じたことがあります。
    「出来ん者は出来んままで結構。100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす。限りな・・・」ここでもう格差を作ろうとしている。学力は個人差があります。科目に得手不得手があります。それらの子供達を「落ちこぼれ」呼ばわりして「下層民」扱いするとは・・・・
    エリートとは何か?エリートの条件は?地位かカネか名誉か?よくわかりませんが、しかし社会の底辺で、汗にまみれて一生懸命働いている人民大衆こそ尊いと私は思います。三浦朱門という唐変木の名を覚えておきます。

    とにかく、息子さん、娘さんと将来についてよく話し合って下さい

  2. さとりより

    うちの子たちも塾なぞ行かずに…と思っていましたが、塾なしで受験期を迎えたお兄ちゃんは工業高校へ、中3の初めから塾に通った長女は商業高校へ、中2から塾に入った次女は高校も私立に行き、塾に行かなくても私立の学校で学期中は夜遅くまで特別講習でみっちり勉強し、そして長期休暇などあってなしのごとく夏期講習、冬期春期講習で志望校対策をし、国立大に晴れて合格…公立高校で塾なしで国立へ、というのはごく少数のできる子には可能でも、普通の子には厳しい受験を乗り越える学力や戦略は身に付きづらいのが現実と心得るべし…と思いを改めた次第です。公立校の教師の子供たちが揃って塾通い、私立中学・高校へ行っていた例をたくさん見てますよ!私達の頃は、そして特に京都はのんびりしてたよねえ(^_^)

  3. 大山奈々子より

    海原様

    そうですね、しかしなりたいものも特段定まらない彼ら。私もいい高校ってなんだ、みたいな言い方はしましたが。話し合いも煮詰まった感じで、そう、彼らの焦りを思うと、今の現実の中で自分の理想をおしつけてもな、という気はしています。
    政治家として教育行政のあるべき姿を求めることと親として子どもたちのあるべき学びを求めることは必ずしも齟齬をきたすものではないと思いましたが、きたしています。

  4. 大山奈々子より

    おお!さとり。

    ま、そうなんですが、工業高校、商業高校へいったお二人はたくましく生きてはいないかとかいろいろ考えます。国立大へいった次女の方はいかにとか。

    そうそう、教員の子も塾へ行くよね。公立は信用ならんから私立とか…。あああ、いつの日か安心して公立小中高の教育力で高度な学ぶ力を身に付ける教育行政へと転換できる日を私は夢見ている。

  5. 鈴木やすより

    うーん。確かに今回のブログも奥深いですね。【私の意地の背景に】以降で大山さんが当ブログで主張したかったことが理解できます。また最後の先生の「はあ、ぼくらもがんばって工夫しているんですけどね…」との発言に現実を感じさせられます。
    私事ですが一人娘を小学校から塾に通わせていたことを思い出しました。中高一貫の女子学校へ行きましたが、小学校の頃でも塾に通い週に何回も10時過ぎの帰宅があり私が残業して駅で落ち合って帰宅というような思い出があります。本人は薬剤師になりましたがはたしてこれで良かったのか否かは未だに分かりません。私自身は栃木県の農村地帯でのんびり育ち塾には無縁で育ちました。
    私は「教育」については素人の域ですが、「教育」とは教え育てること。知識,技術などを教え授けることと辞書には書かれています。
    私は今回の下村文科相が塾業界との癒着を考えると、「教育」までもが「利権」の対象となってしまったことに憂慮します。今思うと、2004年に校法人以外の株式会社の学校が「構造改革特区」(私は「特区」は憲法違反との立場です。今後も「特区」という語句には要注意?)で解禁され塾などが参入したのが契機だったのかもしれません。
    ちょっと前、これら多くの「塾」での契約社員等が劣悪な労働条件等で労働組合を組織化したことを思い出しました、「塾」もいわゆる「ブラック企業」が多いようですね。話それました。
    現在、行われている安倍「教育再生」では、子どもを選別化(1%のリーダーと99%が従順に従う等)し、国に従順に従う「国民」づくりに向かっているような危険性を感じます。
    教職員の労働条件等地位の向上も必須です。また「ブラック企業」や「ブラックバイト」の被害に遭わないような「ワークルール」教育の推進も必要でしょう。とりわけ社会に対する状況を分析できる目を育成させ、「塾」に頼ることなく目の前の現状を変えられるというような教育が必要なのではないでしょうかと痛感しました。

  6. 大山奈々子より

    鈴木さん

    そうなんです。この改革は日本の教育行政全般の大転換が必要です。
    塾でのブラック化も問題ということを考えても、公の教育機関を充実し良質な雇用を保証していくことにもつながることを思えば、やはり塾ありきの日本の教育界を考え直していく必要があります。
    もちろん、塾と一言で言っても多種多様ですし、一概にはいえませんけどね。
    確かなことはまずは塾業界との癒着をなんとかすることから始めないとね。

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