大山奈々子
大山奈々子大山奈々子

おじいちゃん、帯結べるようになったで。

ブログコメント3

新横浜町内会の夏祭り、今年は一度踊りの練習をして臨みました。

この間私は娘に浴衣をねだられました。昨年までは周りが浴衣を着ようとも甚平でいいといった娘の幼さが可愛かったものですが、彼氏ができたらしく、浴衣着たくなる女心もわからんでもなく、買ってあげることにしました。そして一念発起したのは、着付け。

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私は祖父の顔を知らないけれども、祖父は京都の西陣の織機を修理する名人だったといいます。母も西陣で育ち、私が子どものころは、周りのお母さんが洋服ばかりなのに毎日着物を着ていた人です。ペタンコの布が見る見る形になり、ペタンコの帯がしゅるしゅると結ばれて形になる様子をよく見ていました。

子どもが生まれ、幼稚園で花火をみるころにはゆかたくらい着られるようになろうと思って、なんとか形はできたものの、帯はダメだと思い込み、作り付けの挿し帯をつけていました、

昨年の祭りは着付けのうまい人に委ねていました。しかし、西陣の孫として、友禅染職人を友人として持つものとしてこれでいいのかと。京都人魂がむくむくと湧き、娘と浴衣買いに行ったお店で話しやすそうな店員さんがいたので「帯ってネットでみたらわかりますよね」とつい。すると「ええ、もう簡単ですよ」と。お店で着付け教室やっているわりにはフランクな店員さんでした(笑)

というわけで今年は娘と着付けから帯まで練習して二人とも着付けと帯をマスターしたわけです。遅まきながら。人生のもっと早い段階で挑戦すればよかったと後悔したものの、娘には早くから挑戦させてよかったと。彼女も満足げでした。

ところがこの新横浜夏まつりでは帯が今一つキマらず、レディース会メンバーに締めなおしてもらった次第。人によって形を変えて結ぶ技は年季を感じます。

翌翌日の駒林小の夏祭りにお邪魔した時は自分で締めることができました。

駒林小では6曲くらい踊りましたが一つとして新横浜で踊ったのと同じ曲がなかったのが驚きでした。あ、そして何より校舎の屋上から花火が数発打ち上げられたのが感動。真下から見る花火は数発であっても地元のみなさんとみるわけで子どもたちの脳裏にきざまれることでしょう。向こうに見えるのが駒林小です。IMG_1881

 

 


コメント

  1. 鈴木やすより

    最近の大山さんのブログは県会議員という立場上その活動報告等がメインなのは当然ですが、私は特に今回の様なブログにペーソスを感じます。昨年、大山さんのブログに接した頃を思い出しました。大山さんのご祖父は京都の西陣の織機を修理する名人だったと以前にもお聞きしましたね。
    私事で恐縮ですが私の栃木県の実家(小山市)では農業がメインでしたが以前は兼業で結城紬を製造しておりました。父親はその工程中の絣(かすり)縛りの職人でした。現在交通事故で入院中の母親は機(はた)織りをしていました。当時は実家にも結城紬の織機が多数あり、その他複数の機織りの方もいてそれなりの活況を呈しておりました。
    私はこの織機の音を聞きながら育ち小学生の頃は織機の音を聞きながら宿題をしていました。そういえば祖父も祖母もその仕事をしていました。あの当時(1970年頃まででしょうか?)テレビのホームドラマ等でもサラリーマンの男性(山口崇など)が帰宅すると着物に着替えていました。母親でも私の小学校入学時の頃(1968年)は確か着物を着て行っていたような記憶があります。
    その後時代の推移と共に今や結城紬も殆どの家で廃業(実家も同様)してしまっています。話は多少それますが、私が高校生のころ少し青春時代で私の実家よりは多少都会の高校へ進学し硬派の剣道部員でした。そんな中でバレーボール部のある女性(今思えばキャンディーズのスーちゃんに若干似ていたか(笑))と体育館と剣道場が至近距離の関係上何となく話す様になりました。彼女から実家の稼業聞かれて「結城紬製造業です。」って答えてその話を父親にしたら(女性に話したことは言いませんでしたが(笑))寂しそうな顔をして「農業だ。」と一言。当時の私は実家の稼業を「農業」と胸張って言えなかった。
    その後法政大学社会学部へ進学して「農業政策」なる講義を聞いてからいかに農業が重要かを私なりに痛感してからは、実家の稼業は「農業です。」と胸を張って言える様になりました。父親は喜んでいました。
    私は二男だったので稼業(農業)は継がず今は横浜市在住ですが、今回の大山さんのブログに接し小学校や高校生の頃を思い出しました。入院中の母親を見舞いながらまたお盆には帰省したいと考えております。

  2. 大山奈々子より

    鈴木さん

    結城紬ですか…復活してほしいですね…。私の友人は友禅の仕事をしたものの
    やはり着物では食べていけないと筆を折りました。
    確かに帰宅後着物になるサラリーマン、ドラマにありましたね。

    農業です、と言えるようになって本当によかったです。県政の中でも第一次産業のことは気になる課題の一つです。

  3. 石井洋二より

    紬は着慣れると体にピタリと馴染んでくるのですね。また暖かいのですね。私も結城?らしい対を10年ほど前に作りましたが、なぜか着やすいのでその着物を愛用しています。体系が多少変化しても、何とかごまかせるのが着物の長所ですね。

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