大山奈々子
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子規は堪能できたけれどスノーデンには秒殺のGW

ブログコメント6

まさか子どものいないこどもの日がこんなに早くめぐってくるとは。

夫とバイト三昧の息子は久々に千葉のおばあちゃんちへ。部活があっていけなかった娘とせめて彼女の好きな上野の国立科学博物館に行くかなと、地域でハンドマイク宣伝した後、午後から菊名駅で待ち合わせ。

娘「あ、でも博物館って感じじゃあないな。なんか…うちで勉強したい…」

私「勉強?珍しいこと言ってんじゃないよ。雨降んじゃん。じゃあさ、映画見ようか。」強引にGW感を出したい私。

娘「ラ・ラ・ランド!」

私「いやぁ、それよりさ、あれ見よ。スノーデン。CIA のさ。」

検索するも、上映館は神奈川になし。

娘「じゃ、菊名のTSUTAYAで借りて観ようよ。」

と、遠出の計画が一挙に安近短になり。

このとき一緒に借りた「鑑定士と顔のない依頼人」は後味が悪すぎた。面白かったけれど。

(ジャケ買い。いや、ジャケ借りか。というのだそうで、「大どんでん返しを観たいあなたに」かなんか書いてあるだけのカバージャケット。これをもってカウンターに行くとこの映画を紹介された。)

このとき、TSUTAYAの近くにある、宮沢賢治のお話の中にでてくる広場の名を関した書店「ポラーノ書林」さんに立ち寄り、好きな本を買い求められたのがうれしかったですね。売れる本しか置かない本屋や図書館まで出てきた中で、ポリシーのある品ぞろえでした。

・・・・・・・

翌5日はぽっかり空いたので山となっている書類を片付ける一日に。いろいろ読みながら仕分けるので三つの山がせいぜい二つになったくらいで一人で柏餅を食す。

・・・・・・・

翌日午前のおもしろい取り組みは後述するとして、午後は地元で俳句の会を主宰しておられる復本一郎先生が正岡子規について講演されると知り神奈川県立近代文学館に行きました。この素晴らしい館が県立であることに誇りを感じながら。

私は俳句ならなんといっても与謝蕪村が好きなのですが、子規に関しては大学時代に「仰臥漫録」を学び、四国旅行の際には松山で子規記念館を訪れ、結構触れてきてはいました。しかし今回先生の著書を読んだり、お話をうかがったり、展示物に触れる中で、歌人であり俳人であり、ジャーナリストでもあった子規という人の偉業が、人間子規の思いが伝わってきました。

身体にいくつも穴が開き、苦痛にのたうち回る脊椎カリエスに苦しむ中で、死の間際は口述筆記になっており、そのことがはからずも文語体から口語体への変換期にあって完全な口語体文学となり得たということも知りました。

印象的だったのは、若き日に政治家か文学者か思い悩み、当時は治療法が確立されていなかった結核という自らの病と向き合う中で、余命を知り、時間がないから政治家をあきらめ、文学に生きると決めたという経緯。

新人ながら政治家をさせていただいている私は、一度しかない人生、時には文学を始めとする趣味の世界に耽溺したいという思いが頭をもたげますが、こういう思いで志を封印した先人がいたことを思うと、この職にあることの意義と責任を再認識させられたものでした。

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折しも全国都市緑化横浜フェアが開催されており、いつも緑と花が豊かな港の見える丘公園が、さらにハンギングなどで飾られており、花を楽しむ人々でにぎわっていました。今、嗅覚がまともなので、(そういう時期は年に何度もない(>_<))ローズガーデンでバラの香りに包まれることができ、幸せでした。

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夜には現在公開されている「スノーデン」とは違う、シチズンフォーという2014年のスノーデンの映画を観ました。画面の転換が少なく、ナレーションを眼鏡もなく必死で読んだためか、娘が沈没し、息子も沈没し、気づけば「3人で寝てるじゃん!」という夫の声で起こされたという情けない鑑賞会でした。返すまでに観られるのか私。

さて、ここまで読んでくださった忍耐深い方へお知らせ。

「みながすなるインスタなるものをしてみむとてはじめけり。」

「大山奈々子 インスタグラム」で検索してください。私が耽溺したいもう一つの世界をたまに投稿しています。

 

 

 


コメント

  1. 中村 孝より

    私もスノーデン、見たい映画ですが、どこかでやっていますかね。
    良い連休を過ごされましたね。
     議会は何時から?三年目も実りあるものにしてください。

     4月末、多摩区の後援会が君嶋さんを招き、ゆっくりお話を聞くことができました。課題は多いようですが、六人の皆様に期待します。

  2. 大山奈々子より

    中村さん

    スノーデン、12日まで下高井戸シネマで上映されているようです。ご覧になれたらいいですね。
    さて、いつも応援ありがとうございます。県政を注目してくださっていること、大変心強いです。3年目もがんばりますよ!今後ともよろしくお願いいたします。

  3. なめねこより

     正岡子規は野球好きだったと言われています。弱小野球部でしたが一応中学から大学まで10年間球児だった私はそのことを知ったのがきっかけで子規に強い関心を抱くようになり、それに付随して、それまであまり関心のなかった文学に関心を寄せるようになりました。
     非常に些細なきっかけですが、「野球やってて良かった」と思うことの一つです。

  4. 大山奈々子より

    なめねこさん

    野球少年でいらしたんですね!
    子規が翻訳して「野球」という日本語がうまれたんですよね。
    野球から文学へ、そういうきっかけの持ち方もあるんですよね~。
    座学ばかりでは人は枯れて、多角的な活動が人の幅を広げますよね。

  5. なめねこより

     学生時代、私は工学部でしたが、正岡子規から興味の範囲が広がしました。きっけけは前の投稿にも記した通り些細なことですが。
     でも些細なことって、意外と大事ですね。その後のことのきっけけになると言うか、その後のことにつながって行くわけですから。
     ただそれは良い意味ばかりではないんですよね。現実では悪い意味で言われるケースのほうが多い。特に政治業界はそう。些細なことから始まって気付いたら想像もしていなかったような状況になっている。今の自公政権はそうした狙った姿勢が露骨で、戦後、最も悪辣な政権でしょう。
     最後は記事の内容から逸れてしまいましたが、現政権は打倒する必要性を強く感じるこの頃です。

  6. 大山奈々子より

    なめねこさん

    新聞投書にあったんですが、戦争中子どもだった人が、戦争を恨み、父親に大人は何をしていたんだと詰めた際、なぜ止めなかったと迫って父親は「確かにあの時、という時があった」とおっしゃったそうです。

    今は本当にあの時化する恐れが大ですね。打倒しないと取り返しがつかないです。

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