大津行
大津の母がとてもお世話になっていたご近所の方が急に亡くなり、母の体調も、既に一人暮らしはあり得ないレベルになっており、心配で行ってきました。母は酸素チューブに繋がれているので、踏まないように家の中を行き来するのが難しいですね。
幸いお世話になった方の息子さんたちとも会えて少し思い出話ができました。孫同士も同年齢で時々一緒に遊んだものです。
たまたま東京から帰ってこられていた息子さん、友人と会いに出かけたその日、最期になぜか、行ってくるね、の時、お母さんと握手をされたのだとか。冷たかったと。帰ってきてもっと冷たくなったお母さんを発見されるわけですが。
親子の不思議な絆ですね。それにしてもお元気だったのにあっけないものです。私にとっても単なる近所のおばちゃんではなく、ふと涙が浮かぶことに自分でも戸惑っています。
母の顔色や体調を敏感に気遣ってくださり、とびきり美味しいおかずを届けてくださり、心の支えになってくださったTさんにお礼を語る言葉も見つかりません。おかげさまで今も母は月に延べ40人以上の方に移動や食事、受診までお世話になっています。
今日は午後から秦野に行く仕事があり、朝のうちに実家を出ることに。「新幹線、2時間で着くようになってもやっぱり遠いなぁ。やっぱりリニアがいいね😁」というと母も笑ってくれました。もちろん私たちはリニアに大反対なわけです。体の痛みから、笑顔が減った母にブラックジョークでもわらってくれたらホッとします。
そしてこのオレンジの傘、借りて帰ったのですが、横浜に着いてから「お母さん、あれひょっとして蜷川さんの時の?」
「そうやーみんなオレンジのもん買うたんや、あの時」全国に革新自治体が生まれた時、京都は蜷川虎三府知事を誕生させました。その闘いの記念。もう要らんと言われたけれど、大切にとっておかねば。神奈川では畑野君枝参議院議員を誕生させた時にオレンジだったことを覚えています。(私は実はブルーなんですけど、すぐに飽きていろんな色を着るのでイメージはあまりないそうです。(笑))
改めて大津の皆さん、そして全国で誰かを支えておられるいろいろなみなさん、お疲れさまです、ありがとうございます。
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