「人は理性より感性で動く」 北綱島特別支援学校と住民運動
タウンニュース8月19日都筑区版を読んで、深く納得したことがありました。自民党議員の「北綱島特別支援学校を元の学校に戻す」というタイトルの寄稿です。「6年前の2015年、肢体不自由の子供たちが通う北綱島特別支援学校を旭区に新設する左近山特別支援学校の開校に合わせて閉校するという特別支援学校再編整備計画が教育委員会から突如発表されました。担当者から私たちへの説明は保護者の皆さんには理解をいただいているというものでしたが、現実は全く異なりました」と始まるものです。
私が県議として送り出していただいたのは同じく2015年。地元港北区で地域の特別支援教育のハブともなっていた学校が、お隣の北綱島小学校とも交流が盛んな特別支援学校が3年後に突如閉校。新しいのができるからって。多くが過大規模校になっているのに横浜市は肢体不自由児の特別支援学校は5校計画で、一つ作ったら一つなくすのだとか。そもそも特別支援学校は都道府県に設置義務が課せられています。県の設置が至らなくて横浜市がつくってくれているともいえます。でもそれをこんな乱暴な閉校をすることはあってはならない。通学の途中で車を停めて痰を吸引して学校に通わせる、そんな状態の子どもをさらに遠いところに通わせるのか。地図の上で駒を動かすように物事を決める雑な心無い方針に唖然としました。
新人議員の私が県の文教常任委員会でこの問題を取り上げた時「横浜市立北綱島特別支援学校のことです」と切り出すと自民党議員が「それは横浜市のことだろう!」と野次。委員会は中断(暫時休憩といい、私はよく暫休の憂き目に遭いました(´;ω;`)ウゥゥ)「大山議員、横浜市のことをここで出しても」「ここは政治活動の場じゃないんですよ」とか訳の分からない非難が私に向けられ、「共産党のせいで委員会が長引く」などという言葉が投げかけられもしました。(どれも自民党。他の委員は薄ら笑い←本当。か、うつむく。)私は、「特別支援学校の設置義務は県にあります。こうやって委員会停めるから長引くんですよ、政治活動ではありません、私は県民の代表としてここにいるんです!委員長、再開してください」と求め、委員会は再開されました。今思い出しても腹立たしい。そして質疑の中で北綱島特別支援学校の存在意義を浮かび上がらせました。答弁は横浜市立のものだから静観するという趣旨の冷たいものでした。(のちに担当者から県教委は市教委に、助言してくれたと聞きました。)市議会でも当然共産党市議団が追求しましたし、地域住民、保護者、学校関係者のみなさんが3万筆もの存続を求める署名にも取り組まれました。それらの力で閉校から一転して分教室案、そこから上菅田養護学校の分校案として移行し現在に至りますが、教員配置などは要望を受けて本校と同様で、財政面でも変わらないのに扱いを分校のまま、保護者に不安を残したまま今に至ります。
横浜市の市長や幹部と県議が懇談するみなと会という場が年に何度かありますがそこで私は市長に直接本校に戻すよう求めたりもしました。
ところが最近、横浜市議会で自民党議員が本校に戻せと求めたと知り、驚いていました。
その謎が解けたのが、先に挙げたタウンニュースの寄稿でした。この自民党議員は、街頭演説中に男性に話しかけられ、その方は北綱の保護者さんで、いかに閉校方針が突然だったか、再編計画が不均衡かと語られ、直接の意見交換やメールのやり取りを繰り返したといいます。県議にも働きかけたと。(だからのちに本会議で自民党がどうなっているのか聞いたのだなと知りました)
以前、医療的ケアのお子さんがいるお母さんに訴えられて県議会で医療的ケア児の対策を求めた自民党議員もいました。国政では悪政の旗振り役ですが、切実な声に敏感に反応する議員さんもいるということです。「人は理性より感性で動く」タイトルの言葉はどこかで読んだことのある言葉です。直接自民党議員に話しかけたお父さんのファイトと、受け止めたくさま議員の誠意をリスペクトしつつ、これは運動の基本かなと思いました。
私がカジノの運動の中でいつも胸にあったのは、カジノのシンポジウムの席で親がギャンブル依存だったという娘さんの「賭け事に出ていく父親を裸足で追いかける家族の気持ちをわかってほしい」という悲痛な言葉でした。
県議会第3回定例会の陳情請願締め切りは9月22日です。点字版は9月14日です。請願や陳情に関して委員会で口頭陳情が行われるのは、生の声で訴える力に期待するものでしょうね。しっかり受け止めていきたいと思います。
横浜市のみなさんは新しい市長が市民の意見を聴く機会を検討しておられるので、ぜひ北綱のことをはじめ働きかけていきましょう。