大山奈々子
大山奈々子大山奈々子

早稲田大学陸上競技同好会創立50周年式典

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通学駅であった高田馬場駅に降りたのは何年ぶりだったか。学生時代のバイト先BIGBOXビルが健在でほっとしつつ。リーガロイヤルホテル東京で式典が行われ、参加しました。原宿の織田フィールドで走った仲間が久ぶりに集まりました。早稲田の競走部は当時、全国1、2位レベルの人しか入部できず、高校時代に陸上部短距離パートで燃焼した私はもはや「シェイプアッパーズ」くらいの気持ちで参加しました。幽霊部員気味でしたがたまには試合にも出場し…。最後の挨拶にもありましたが、日本選手権レベルの部員から健康維持目的の部員もおり、周りの女子大からの参加者もたくさんいる懐深さが魅力の陸同です。陸上競技サークルとしては関東一の規模に成長したようです。(早大同と後輩たちがいっていたのは初耳でした)

自分がこの同好会の第9代だとは知らず。51代の現役生も参加した300人規模の大式典でした。途中では名札の裏に印字されたアルファベットごとに集合してク、世代を超えて自己紹介、のちクイズ大会(スマホ入力で結果を集約する手法)この記録は何年間破られなかったか?とか、この記録を出した予選では何レーンを走っていたでしょうか、とかコアなクイズもあり、大いに楽しみました。

最後はパートごとの記念撮影があり、おしゃべりしていて短距離パートに出るのを忘れました。経済界、法曹界、教育界などで活躍してきた仲間といろいろな話をしました。

思い出の映像集では、大会の種類が増えたりユニフォームが微妙に変わったり、変わらぬシーンもあったり…懐かしいトラックが映っていたり…

印象的だったのは、銀行員の先輩がおっしゃっていたこと。コロナ禍でリアルな接触が減ったせいでどこの会社でも新人が学ぶべきマナーがうまく継承できていないことがあったようだという話。確かにオンラインだけでは伝えられないことがありますよね。

そして痛感したのが選択的夫婦別姓急げということ。女性がほぼほぼ名字が変わっていたので、名札をつけていても人物の判明が不安だったこと、私を呼んでくれる仲間も、「志田さん、あ、大山さん」とか。「あれ、経済界も求めているのにブレーキかけてるのは自民党の中でも年配の保守派でしょ?その人たちがいなくなれば変わるんじゃない」という声もありましたが、そんな悠長なテンポでは困りますね。

閉会の挨拶で、「40周年の記念誌に。『今、小学5年生の子が次回50周年の幹事になります』と書いてあって、その言葉通り当時小学5年生だった私たちは陸同に入ってこうして幹事をやっています」なんというか今では見ず知らずの子ばかりのサークルの伝統が脈々と継がれていることに感慨深さを感じました。

私の代前後は結構全国から入学しています。当時の学費は教育学部で年に68万くらいだったか…。今や学費も諸物価も高騰して下宿もさせられず地方出身者が減っていると聞きました。故郷京都の大学に行けたにもかかわらず、女の子を1人暮らしさせる不安が親戚から出たにも関わらず、東京に送り出してくれた父母に改めて感謝しました。貸与奨学金1年分と給付奨学金半年分(海老崎さんという九州のワセダファンの方からのプレゼント)で学び続けられたこと、今はまさかのもっともっと大変な状況になっていることなど思うと、好きな学校で好きな授業を受けることくらいお金を気にせずに学べるようにしないといけないなと思いました。

なお、海老崎奨学金は成績要件があり、学部学年ごとに上位15番以内。あ、無理、と思ってあきらめた私に当時の事務職員の方が「一応申し込むだけ申し込んでみたら?」と言ってくださり、受けることができました。あの時の事務の方の顔は忘れられません。心がぽかぽかした日でした。


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