大山奈々子
大山奈々子大山奈々子

教え子を戦場に送るな 『いわたくんちのおばあちゃん』

ブログコメント2

IMG_1432鈴木京香さんの読み聞かせの話を紹介していて思い出したことがあります。

私も息子と娘が小学生の時、小学校のPTAの取り組みで朝の読み聞かせをやっていて、いろいろなジャンルの本を選んでいましたが、毎年、夏8月には私以外のお母さんの提案で戦争ものを読んでいました。年を重ねるにつれて物事に感じやすくなるのは人の常か、この『いわたくんちのおばあちゃん』を読んでいて5年生のクラスで涙が止まらなくなったことを思い出しました。4年前かな。

広島。家族で記念写真撮った直後に原子爆弾が落ちて、写真を後に見ることができたのは少女だったおばあちゃん一人だけだった。それ以後写真に撮られることをいやがるようになったおばあちゃんの話。

 

鈴木京香さんから、あのしっとりした声で優しく読み聞かせられた子たちも、まさにその悲劇のおかあさんを演じたご本人の朗読、心に沁みたでしょう。

 

一方、4年前みっともなく泣くおばちゃんの読み聞かせを聞かされた子どもたち、私のことをぽかーんとみていたっけな。18歳選挙権ならあと3年だ。もうおばちゃんもおばあちゃんも泣かせない人を選んでね。

 

先日元教職員の方から紹介された詩があります。教え子を戦争に送った慟哭をお読みください。

 

戦死せる教え児よ

逝いて還らぬ教え児よ

私の手は血まみれだ

君を縊ったその綱の端を私は持っていた

しかも人の子の師の名において

嗚呼!「お互いにだまされていた」の言訳がなんでできよう

慚愧、悔恨、懺悔を重ねてもそれがなんの償いになろう

逝った君はもう還らない

今ぞ私は汚濁の手をすすぎ涙をはらって君の墓標に誓う

繰り返さぬぞ絶対に!

        竹本源治  1952年1月

・・・・・・・・・・・・・・

竹本さんは、1919年1月28日、池川町生まれ。池川青年学校を出て、44年、地元   

の瓜生野国民学校で教壇に立ちましたが、45年6月、応召し陸軍歩兵二等兵に。 

幼いときから頭に入った皇国史観のまま「神州不滅」と日本の勝利を信じていまし

た。戦友が「戦艦陸奥が海に爆沈した。この目で見た」といっても「陸奥は、どこか

に温存されている」と思っていました。

    そうした太平洋戦争中のみずからへの反省が、この詩、短歌を生みました。

    53年7月、ウィーンで開かれた第一回世界教員会議で、日本代表団が、この詩が 

紹介したとき会場には拍手がまき起こりました。ウィーン放送局が、ドイツ語訳で、

この詩を放送したとき、局員たちがハンカチで顔をおおっていたといいます。

    竹本さんは、その後、県下の小、中学校で、おもに社会科、国語を教えました。越

知町の片岡小学校校長を最後に78年3月、退職。80年5月24日に死去。90年6

月、高知市の城西公園西側に、高知県管理職教員組合結成25周年を記念して、

「戦死せる教え児よ」の詩碑が建立されました。

    竹本さんの友人だった日本共産党の山原健二郎衆院議員は衆議院本会議の代表

質問(90年12月10日)でこの詩を朗読。「これは戦前の誤りを反省した戦後教育の

原点であり、不戦を誓ったわが国の歩むべき大道であります」と訴えました。(義)

 〔しんぶん赤旗2006・5・24(水)〕

 

 


コメント

  1. 鈴木やすより

    このブログを読んでいたら「戦争法案」と「教育問題」とのリンクを考えさせられました。先の大戦でも侵略戦争遂行のために為政者は「修身教育」を実践し「洗脳」していったのは「歴史」が物語っております。
    今の「教科書問題」そして「道徳の教科化」等、あの誤った「歴史」を繰り返すのだけは避けなくてはならないと考えます。戦争立法を廃案にして、安倍「教育再生」を許さない取組が今こそ求められていると思います。

  2. 大山奈々子より

    鈴木さん

    そうです。この間の教科書採択に際しての各地の教育委員会の不当な介入を考えると教育が狙われているのがよくわかりますよね。子どもたちの
    頭に対する攻撃は許せませんね。

コメント投稿フォーム
※コメントは、スパム対策のため、一度内容を確認したうえで公開させていただいています。公開まで時間がかかるときもありますが、ご了承ください。メールアドレスは公開されません。
必須

CAPTCHA