息子も卒業しました。学校はここに…
卒業式の季節です。みなさん、おめでとうございます。
港北区内の3つの県立高校からも卒業式のご案内をいただいていました。幸い議会は私の所属する委員会のない日。本当に申し訳ないことに、息子の高校の卒業式もあったので、そちらにいかせていただくことにしました。息子の高校三年間は、私が候補者活動で明け暮れた日々でしたから、最後だけ親らしいことをしたいと…。
息子が高校受験した時から、私は関与しておらず、制服を注文しに行く段になって初めて息子の高校の正式名称を知ったような次第。その制服と撮るのは最初で最後だと思って、嫌がる息子を引き留めました。
夫は、男親なんて来てるか?といいながら、最後にみんなでサッカーをするらしいからサッカーをする最後の姿をみたいと卒業式にくることに。学校に着いてみると、大勢の保護者が男女ともいました。いつから卒業式は卒業証書授与式になったのでしょう。ネットで調べてみても明快な答えがありません。ただひとつ言いたいのは、この学校のように墨書きならいいけれど、パソコンの文字を拡大したような看板を時々見ますがあれは本当に味気ない。お願いします。墨にして~。(教育学部で同級だった友人は、達筆な人。中学の教師になりましたが、学校中の文字書き仕事が集中して忙しいと言ってたっけ。)
ふふ、息子を後ろから撮りました。(椅子に座る生徒たちの足元を見て、あら~、みんなこんな上履き履いていたんだ。と3年目にして思った自分が怖かったですね。これ、息子は持って帰ったことあるのかしら。…)
校長先生の言葉は形式ばったものではなく、巣立って行く子どもたちに愛情いっぱいのメッセージでした。
担任の先生が一人一人クラスの子の名前を呼びます。
(私が高校教師になって二年目、担任の子たちを送り出したときのことを思い出しました。それほど年が違わない生徒と楽しく過ごした日々が終わりになることの悲しさに、いつまでも涙がとまらず、「ななこはアホやなぁ…」と、これまた涙目の女子たちに教室で笑われたものでした。みんな元気かな…。四半世紀も前のことなり。
それにしても都会の卒業式は田舎の卒業式につきものの、切なさに欠けますね。都会にいるであろうから。田舎の子は都会に行く子も多いので、卒業=距離的な別離という意味合いもあり、♬四月からは都会に行ってしまうあなたに、打ち明けたい気持ちが…♪と歌う松田聖子ちゃんの♪制服♬がヒットしたように、非常に切ない雰囲気に満ちるものです。)
息子のクラスの式が終わってから先生たちが保護者に向きあって一人ずつ一言くださったり、温かい式でした。
しかし、一番印象的だったのは、次の言葉。校長先生だったか同窓会の方だったか。
「みなさん、これからも先輩として学校とつながってください。○○高校はここにありつづけます」
受けとめた子どもたちには頼もしいエールに聴こえたことでしょう。
でも、神奈川県では、県立高校改革の名で、向こう12年間で20から30校もの高校が削減される予定です。減っていく子どもの数から考えて、はるかに上回る数の学校削減です。標準規模である1クラス6~8学級だと活気がなくなるのだと強弁して。削減しなくても小規模校として継続できるのに、削減するのです。このセリフをいえない学校があっていいのかと問われます。子どもたちにとって、生きていく根っこのような母校。経済効率と引き換えに母校を失う悲しさを明るい旅立ちの時に子どもたちに押し付ける高校改革の罪深さを改めて突き付けられました。
というわけで、午後は控室に戻りました。
ハンドメイドの達人に手作りしてもらった9条コサージュ素敵でしょう?スチューデントファースト(生徒が第一)の真の意味を問う活動を続けます。
コメント
卒業おめでとうございます。
彼らの世代に戦争のない平和な時代を受け継いでいきたいですね。
息子さんの高校卒業おめでとうございます。また心温まるブログです。このブログ読んでいたら私の高校卒業式(栃木県)から大学入学までのことが走馬灯のごとく思い出されました。
共に汗と涙を共有した剣道部の仲間や後輩との別れ。剣道部顧問のT先生等々。あの頃私に多くの影響を与えて下さったあの恩師の方々は今どうしているのでしょうか。当時ヒットし初めていた海援隊の「贈る言葉」(私の高校卒業時の前年11月のシングル)で送り出された高校。密かに憧れていたバレー部の彼女の美しい横顔。地方の硬派の剣道少年は言い出せる機会もなく時は無情にも経過し私は東京の大学へ。教育学部への受験に夢叶わなかった彼女は地元での浪人生活(今は日本海側で当時の目標であった小学校の教師だという)。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(今でもこの曲を聞くと当時の甘く切ない思い出が蘇ります)の一説を思い出します。「恋人よ 僕は旅立つ東へと 向う列車で はなやいだ街で 君への贈りもの探す 探すつもりだ…♪」4月になり今は寝たきり状態の母親が付き添ってくれて都内大塚の下宿へ行って母親との別れの場面での不安感。今、正直入籍した娘を持ってあの頃の両親の気持ち(立場)がよく分かる気がします。
今年も多くの若者が進学のため故郷を去りまた社会へ出る季節がめぐって来ます。またこの時期別れと出会いの季節でもあります。私はなぜか今でもこの季節が好きです。
話は飛びますが高校新卒求人数は1992年の約167万人から2011年(データちょっと古いですが)では約19万人でピーク時の約12%。約88%以上もダウンしています。高校卒業での就職も厳しい時代だと思います。
また進学しても(貧困で進学を断念するケースも問題ですが)大学の高い授業料負担で卒業後も「ブラック企業」の被害や不本意ながら非正規労働者に従事しまたまた高い奨学金返済に苦しむ若者の現状。日本の将来を担う若者(このようは表現すると右系かと言われそうですが)に幸ある社会を実現することが政治の喫緊な課題ではないかと考えます。
最後に新たな門出の若者へエールを兼ねてイチロー選手の名言を掲げます。
「ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
安中さん
ありがとうございます。
全くです。
そこが原点でずっと闘ってきている気がします。私たちの先輩の思いもそうなんでしょうね…
そして、彼らの世代も主権者としてどう生きるか問われますね。
鈴木さん
木綿のハンカチーフ、でましたね。あれも都会と田舎の切ない恋の歌ですね。そう、私も上京するときは亡き父と来たことを思い出します。時代はめぐりますね。
高卒就職率、そんなことになっていますか…。神奈川では高校に入っても卒業できない子が3000人。積極的中退でない限りは本当にどんな人生になっているのか気になります。
イチローの言葉はステキですが、私の18歳の頃を思っても、どの方向に努力するのかが見えていない日々ではありました。ともあれ、息子と娘に伝えたいと思います。ありがとうございます。