南相馬の宮前利明さん。ありがとうございました。
南相馬ボランティアセンターで全国からのボランティアを受け入れて現地案内や支援活動をアドバイスしてくださっていた宮前利明さんが12日、逝去されたことを赤旗で知りました。京都から被災地へ移住して復興支援に当たられた方でした。東北9カ所に設けられたボランティアセンターの一つが神奈川県からのボランティアが割り当てられた南相馬でした。
港北区では日本共産党の交流センター「とも」で数回、バザーを行って支援金を集め、有志で南相馬に支援に入りました。のべ40人は参加してきたと思います。仮設住宅を訪問して聞き取りをして、国会や地方議会につないで、荷物置き場や風防室、バス便など願いを届けてかなったものもありました。
日本共産党福島県ボランティアセンターのHPをご覧ください。写真はそこからお借りしました。真ん中の白いジャンパーの方がそうです。
被災者の人の心の声に耳を傾け、ボランティアにも柔軟に対応してくださった宮前さん。被災地の復興を見届けるまで、骨を埋めるつもりで移住された文字通りの結果になってしまいました…。「女性のひろば」2月号の小説に宮前さんがモデルと思しき人物が描かれていました。
病気治療に専念されるという宮前さんにお電話したら、「入院しなくてよくなったんですよ。元気です。」と。一か月くらい前でしたか…。宮前さんらしい優しい嘘だったのだと今では思います。
昨日、京都のご葬儀に際して港北交流センター「とも」の被災地支援グループから打った弔電をご紹介します。
「宮前さんの訃報に接し、私たち一同深い悲しみに暮れております。被災地に骨を埋める覚悟で南相馬にいてくださった宮前さん。言葉通りの結果となってしまったことを、本当に申し訳なく思っております。地元に溶け込んで、全国のボランティアを支えてくださる日々はどんなにかご苦労が多かったであろうとお察しします。宮前さんの笑顔と優しい京都弁が被災地にもたらした希望を私たちは引き継いで寄り添っていかなければと心しております。文字通り命がけで国民の苦難に寄り添った宮前さんのことを私たちは忘れません。ありがとうございました。」
3.11後に人生の舵を切った宮前さん。6年後の3.11を見届けていらしたのかなという方も…。