県立川崎図書館に関するシンポジウム 閉館知事のこと
2年間の文教常任委員会の中で川崎図書館という単語を何度発したことでしょう。川崎区の目抜き通り(市役所通り)に面したところに開館し、今年で60年という節目を迎えましたが、県の緊急財政対策の流れで高津区のKSP(かながわサイエンスパーク)に縮小移転を余儀なくされました。神奈川県には人文系の県立図書館(横浜)と産業科学系の川崎図書館の二館の県立図書館があります。それぞれが市町村図書館を支援し、専門性を持つユニークな図書館です。
閲覧も貸し出しも廃止、という想像を絶する愚かな政策が発表され、そののちに議席を回復した我々は、全国の図書館問題研究会や、神奈川の県立図書館を考える会、川崎の文化人のみなさんが立ち上げた会、などいくつもの市民団体のみなさんのご要望を受けて、歯止めをかけるために頑張りました。閲覧貸し出しは県民の運動で押とどめましたが、改修工事をすればいいものを、「モノづくり機能に特化した図書館に」と移転が決まりました。特化とは聞こえがいいけれど、機能の縮小です。司書の数も移転まで隠され続けましたが結果、大幅に減らされました。
やさしい科学コーナーという子どもたちに親しまれたスペースは廃止、移転しきれなかった13万冊の蔵書は横浜市内の県立図書館、貸倉庫、相模原の貸倉庫、川崎市立図書館と分散し、市内存続を求めた川崎市議会の総意を無視する形でした。君嶋県議と私が立つのは川崎図書館の歩みを展示したパネルの前。市民の期待を背負って川崎の地に開設された当初の行列が今は哀しく映ります…。開館知事と呼ばれたという内山知事。私は黒岩知事を閉館知事と呼んでいます。彼になっていくつの県民の宝の施設が消えて行ったか…。
審議の過程で川崎市と県の協議の経緯が隠され、川崎市に丁寧な説明がされず、市民と議員に異なる説明がなされ、県教委の姿勢はこの図書館問題に関しては不実極まりないものでした。図書館法3条に反すると何度も議会で追及しましたが移転は覆せませんでした。私を突き動かしたものは、図書館を愛する皆さんの情熱と、自治体の脳に当たる部分を縮小する愚かしさへの怒りです。地元の愛好家が高齢をおしてひとりで4時間署名集めに立ち続けられた姿も…。
冒頭挨拶された岡本真さんは「神奈川の県立図書館を考える会」の代表。
「行政が暴走するとき民主主義が機能した」と存続を勝ち取った経緯を簡単に述べられました。この「県立川崎図書館をものづくり・化学人材の育成拠点に」というシンポジウムに参加した参加者の中には最悪の事態を回避したという安堵感と、こうなった以上は産業支援に活用を、ビジネスチャンスを。という清濁両面の思いが渦巻いているのがわかりました。
KASTが統合した産業技術総合研究所やKSPの代表のみなさんや、川崎図書館とともに歩み、図書館の存続に尽力された神資研の代表、元川崎市の産業分野の局長で川崎の中小企業振興に尽力されて続けている方、そして川崎図書館の元図書館長…をパネリストに据えたディスカッションがありました。
これに関しては、「なぜ産業振興の役割を担うのが図書館でなければならないのか」という根源的な問いが他県の図書館長さんから出されたり、利用者の方から、「駅からのアクセスがわかりにくすぎる」、「日曜休みでは一般の人が利用しづらい」という声、などが出ました。
これに応える形の午後は参加できませんでした。参加者の方から様子を聞くことにします。新館長は図書館を所管してきた教育委員会の生涯学習課長が就任。私の川図つぶすなの質問に答弁を続けた方です。苦しい答弁もありました。
年間1億を超えるテナント料を県民の税金で払い、県民の税金で運営する図書館、10年で蔵書がいっぱいになる新図書館をどうするのか移転後はせめて県民の意見を最大限汲んだ運用を願いたい。