大山奈々子
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GW、胸熱歴史探訪その① 富岡製糸場

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米国在住の弟は早期退職をし、好きなことをして暮らしているようです。3人の息子たちに対する肩肘張らない彼ら夫婦の向き合い方はじめ、外から見た日本のことなど学ぶことが多いです。弟は今、アジア各地を巡る旅の一環で私たち夫婦と娘に群馬県で日本近代史を訪ねる旅を提案してくれました。

思えば私たち兄弟が幼いころ、父母はGWが飛び石連休なら何日も私たちに学校をさぼらせて、長い家族旅行を企画してくれました。(ご近所の方々には子どもを休ませることについて怒られたそうですが…)それほど旅好きな親でした。弟もその影響か、寝床にJRの時刻表を持ち込み、時刻表と一緒に寝ていた筋金入りの鉄ちゃんです。

私はというと結婚してからは旅をしても車ばかりだったのですが、今回は弟から娘が送られてきた計画を見て吹き出すほど緻密に組まれた列車旅に。

富岡製糸場は世界遺産にも登録されました。HPから紹介を一部抜粋すると、[遠くに雄大な浅間山をのぞみ、手前に妙義山の荒々しい奇岩がせまる風光明媚な地、富岡。昔から養蚕が盛んだったこの地に、明治5年、生糸輸出に近代国家建設への活路を見出した政府は、西洋の先進技術を導入して器械製糸のモデル工場を設立します。その一翼を担った工女たち。近代的な大工場で働くという女性の新しいライフスタイルの始まりでした。
民営化後、経営のバトンを引き継いだ人々は誇りと気概を持ち、ひたすら質の良い生糸を能率よく大量生産するために革新を続けます。
世界の絹文化へ多大な影響を与えた日本の製糸業。富岡製糸場はそのシンボルとして、その歴史と価値を語りかけます。
世界遺産となった富岡製糸場。世界の宝を後世へ引きつぐ大事な役割を、今のわたしたちは託されています。
]

ユニークなガイドさんの説明によるとこの事業を牽引したのがフランス人技師バスティアンさん。32歳だったそうです。レンガを焼くところから研究し、この偉業を達成したと。またここをモデルとして各地で製糸工場が作られ、ここで技術を身につけた工女たちが各地の工場で活躍した話などは殖産興業に燃えた時代の息吹を感じました。

私は日本の資本主義の発展を支えた女工たちの過酷な働かされ方を描いた『女工哀史』の舞台かと勘違いしていましたが、れ野麦峠にある工場の話で、こちらは福利厚生は結構しっかりしていたのではないかとはききましたが、確たる証拠は探せていません。

展示の中で見た蚕の卵は本当にゴマよりずっと小さく、それが蛾へと成長する過程をみると、一万倍の大きさになるのだと聞きました。命の神秘。蚕のぬいぐるみもみましたがなかなかシュールでした(笑)

私たちはお昼に入った近くの歴史あるお店にも感銘を受けました。家族経営でうどんは手打ち、芋がらを使った無二のおっ切りこみという郷土料理を提供してこられたことへの自負がうかがえました。

ちなみに弟がここに来る前に京都へ琵琶湖の水を引く琵琶湖疎水を学んできたそうですが、この工事を担ったのは大学を出たばかりの21歳の若者だったとか。昔は成人が早かったというかなぜ今は大人になり切れないでいるんだろうかとわが身を含め、思います。

娘が持っているのはハサミを入れた切符。私にとってもとても懐かしく、娘にとっては初めてです。

弟「昔は新宿駅なんかでも改札には人がずらーっと立ってみんな切符にハサミを入れてたんやで」そんな時代がありましたね。今はICの活用で便利になったけれど、それが高じて無人駅がたくさん生まれ、不便を強いられる人が取り残されていくことを思わずにいられません。


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