GW、胸熱歴史探訪その② 足尾銅山 公害から緑へ
翌日は富岡製糸場をあとに足尾銅山に向かいました。途中の渋川駅でGW限定のSLに出会えたことは本当にラッキーでした。私は三重県の関に住んでいた祖母宅に行くときに乗ったことがありますが、夫も娘も走っているのも初めて見たとのこと。せっかくですから動画を張ります。力強い汽笛をお聴きください。
足尾銅山へは桐生駅から通洞駅まで「わたらせ渓谷鉄道(通称・わ鐵)」という一輌だけの電車。ICカードは使えず。藤の花で溢れる渓谷を進みました。あれほどたくさんの見事な藤の花を見たことはありません。西京極幼稚園ふじ組出身の私としては感動の連続でした。そしてタイムスリップしたかのような駅の数々。
昔の家族旅行では、父と私がしばらく停車するときに飲み物や食べ物を物色しに行って発車ぎりぎりに戻ると心配顔の母と弟が「遅い」、と文句をいう毎度繰り返された図がこの時も。父母はいないけれど、おやつを調達に出た私を心配そうに待つ弟の姿は既視感がありました。(笑)
なかでもホームで、きゃらぶきの煮つけなど販売されていたおじいさんが、列車が出発する時に小さな旗を取りに行って「よい旅を」と書いてあるそれを振ってくれた時にはそのホスピタリティにしみじみ感動しました。



さて、足尾銅山。
HPによると、「400年の歴史を誇り、かつて「日本一の鉱都」と呼ばれ大いに栄えた足尾銅山の坑内観光施設です。閉山後に坑内の一部が開放され、トロッコ電車に乗って全長約460メートルの薄暗い坑道に入っていくと、当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子が年代ごとにリアルな人形で再現されています。鉱石から銅になるまでの過程などが展示されている銅資料館と、足字銭の鋳造過程が展示されている鋳銭座も併設されており、日本の近代化を支えた足尾銅山の歴史や役割を学ぶことができます。」ということで見学しました。全長1200キロメートル(誤字ではありません、主要坑道と枝葉のように分かれる坑道、高さ1000メートルにわたる複層的な銅山の坑道全長は東京から福岡までの直線距離に匹敵するのだそうです)の中でも一部で掘削作業をする人形などを動かしたりして学んだものの、社会科で勉強した足尾鉱毒問題と闘った田中正造さんのことが年表にちらっと出ているだけ。
世界遺産を目指すというのにその負の歴史に言及しない展示でいいのか。と、この点は私たちみんな疑問に思い、坑道入口そばの資料館的なところなら展示があるかもと向かうと、もう閉館時間。しかしここで素晴らしい出会いがありました。「田中正造さんに関する展示はないのかと思ってきました」というと、ご説明しましょう、と大きな地図の前に連れて行ってくださり、私たちの質問に答えながら40分ほどもお話をしてくださいました。
「私の父親も坑道で掘っていたので私も加害者側の意識がある。洪水のたびに足尾銅山から流れる渡良瀬川の河床が荒れて沈殿していた鉱毒があふれ、地域の田圃を荒らした。田中正造さんが国会で追及して、国は鉱山をもっている古河に対し予防工事を行うことを命じ、180日間にわたって掘削を止めて、13カ所の沈殿池を下流に作って予防工事を行ったんです。」
国からの財政支援はなかったそうです。田中正造さんは栃木県議会議員でした、のちに衆議院議員になり、職を辞して天皇に直訴した人です。その歴史が銅山の坑道見学の中に特筆されないのがなんとも、というと、
「このあたりは鉱山の経営者である古河鉱業株式会社(現古河機械金属)のことを古河さんとみんな呼ぶ。地域に産業を興してくれた会社に不都合なことを語りにくい空気があるんですよね。」
「でも世界遺産登録を目指していらっしゃるんですよね。だったら率直に負の歴史に向き合わないといけないのでは」
と私が聞いたところ、
「そうなんです。私たちは足尾銅山の世界遺産登録を目指しています。佐渡の金山も石見の銀山も登録された。金銀と来て、次は銅でしょうっていうのでね。登録には二つのハードルがあって、歴史をきちんと語ること、徴用工問題という二つの問題をクリアしないと。佐渡は徴用工の問題についてきちんと語ることを約束して登録をかなえたので」
なるほど…
「公害はそれだけではなくて、銅を生成する過程で出る亜硫酸ガスが山に流れ、ここから見えるようにあの山の木が枯れて、桑の葉も枯れて、養蚕を生業にしていた村は廃村になって村ごと移転を余儀なくされたんです。賠償金はでたものの。」
神奈川県でも宮ヶ瀬ダムをつくるために村を水底に沈めることになったという歴史を彷彿させました。
「では田中正造さんの記念館とかはないのですか?」
「ありますよ。下流の沈殿池のあたりに。今では上流VS下流つまり加害者VS被害者という関係を超えてみんなで緑を増やそうと。植樹の運動が広がっています。子どもたちもあの山に行って木を植えてくれています。足尾の緑を守る会の実は私が会長です。公害の足尾、から緑へ、環境に観点を置いて取り組んでいこうと。そういう意識でやっています。」
今、探したらありました、立派な田中正造記念館。農民たちが団結して押し出し(今でいうデモ)を行い、そういう抗議行動の拠点となった龍雲寺の紹介もあります。廃村になった松木村の住民が北海道の開拓民として苦難の道を歩んだことなども紹介されています、。富国強兵・殖産興業の機運の中で権力に屈せず渡良瀬川流域農民のために闘った田中正造さんhttp://www.npo-tanakashozo.com/kinenkan_video.html
お話してくださった斎藤さんは随所に加害側としての意識が垣間見えました。重大な公害を発生させたとはいえ、親の代が銅山に従事しただけで、自責の念をもって 未来志向の取組を続けておられることに頭が下がりました。坑道見学だけではわからなかったこの地域の歴史をうかがうことができました。ありがとうございました。
今、足尾の緑を守る会のHPを見ると、https://ashiomidori.jimdoweb.com/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E3%81%AB%E7%B7%91%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AF/
植樹本数 307,235本 参加人数 228,932人 に達しているとのことです。
最後に田中正造さんの言葉を紹介します。
「真ノ文明ハ、山ヲ荒ラサズ、川ヲ荒ラサズ、村ヲ破ラズ、人ヲ殺サザルベシ。正造」
「True civilization is not to despoil mountains, not to ruin revers ,not to destroy villages ,not to kill people.」
胸に刻みたいですね。
二日間の近代史を訪ねる電車旅。大好きなグループのコンサートを諦めてついてきた娘も濃密な学びと得難い列車体験に満足の様子でした。