津久井やまゆり園における利用者殺害事件について
ブログコメント5
7月26日に起こった表記事件について議長声明が出されました。こちらです。
知事のコメントはこちらです。
写真は時事通信社のものです。
亡くなった方に心より哀悼の意を表します。けがをされ方々の一刻も早い回復を願っています。
県の施設でこれほどの方がなくなったという事実を重く受け止めて再発防止に努めたいと思います。
※こちらの指定管理者については当ブログでも、秦野精華園や愛名やまゆり園の記事の中で言及しています。
2012年の緊急財政対策の中でこの施設は 〇移譲を含めた検討 対象。2015年6月の調整で 〇福祉施設のあり方を検証 民間への移譲(現行の指定期間が26年度までであることを踏まえ検討)について検討に加えて「現行運営の継続」が追加。次期指定期間においても指定管理者制度による運営を継続するが外部有識者による検討会議において福祉施設のあり方を検討する中で、民間への移譲について検討していく。
と位置づけられています。
コメント投稿フォーム
※コメントは、スパム対策のため、一度内容を確認したうえで公開させていただいています。公開まで時間がかかるときもありますが、ご了承ください。メールアドレスは公開されません。
コメント
非常に痛ましい事件です。胸が痛みます。
また一部報道では逮捕された元職員は「辞めさせられて恨んでいた」との供述があったとの報道もあります。勿論、加害者の行為は言語道断ですが以下これは全く私の憶測でまた私が労務問題に携わる者(社労士)としての見解ですが例えば勤務先であったその施設(法人)と加害者の間で何等かの労務上の問題(いわゆる「労務トラブル」等)は無かったのか?また退職時に何等かのトラブルは無かったのか?非常に気になります。私はある程度の時間はかかるのはやむを得ないとは感じますが出来る限り速やかに真相解明を図り再発防止対策を講ずることが神奈川県議会としても必須であると考えます。
鈴木さん
犯人像がだんだん浮かび上がってきました。
いつものことながら、犯人だけの異常性を原因にして幕引きでは解決になりません。
県の施設として労働環境や防犯対策を見直すことも必要でしょう。
そして何より、今の日本社会の「個」を軽視する風潮が背景に横たわっている気がしてなりません。だれもが大切にされるのが憲法の精神です。この世に生を受けた誰もが生きていてよかったと思える政治に転換するために私たちに何ができるか考えています。
以前、TOKYO自民党政経塾でどのようなことが語られているか教えてほしいとあったと思います。一般リーダーコースと専門政治コース各7回ですが、7/26に一般リーダーコース2回目がありました。講師は塾長代行 小田全宏(おだぜんこう)という1958年生れ松下政経塾出身で人間教育を研究されてます。
今回(今まで)印象に残ったのはこの塾に来ても全員政治家にはなれないだろう。しかし「一隅を照らす」ことはできる、やらなければならないということです。これは故松下幸之助、松下政経塾の教えです。そのことにより「まわりに力を与える存在」になります。意味は今自分が行っていること(役割・仕事)を誠実・真剣に行う、そういう人が多くなれば社会全体は良くなるという意味と思います。
大山さんの意見では「個」を軽視する風潮とあります。私はそれよりも、内田樹さんのブログで「一億総グーダラ」しろとあります。余裕がなく、暇があればスマホを見る。これは正しくない。本当に大事なことは、人間の身体感覚にあわせること。そうしないと人の体内に内在化できないということです。(わかりにくい文章、詳しくは原文(ここ2.3日のブログ)を是非是非読んでください)
今回の殺害事件ですが、「人は自分が幸せでないと、他人に優しくなれない」という一般論が言えると思います。
上のコメントに書いた、「一億総グータラ」内田樹のブログでなく、7/21
・22のツィッターでした。大学の授業で「とにかくグーダラしなさい」と熱弁。「ぼおっとしている時間」が知的成熟が進行すると。それと内田氏ブログ日弁連での質疑応答をつなぐと上の表現に。社会に余裕がなく、必要以上にせかされていると私は感じます。
あるニュース番組によれば、逮捕された元職員は「障害者に生きている価値はない。障害者一人安楽死させればいくら浮くか」と常々語っていたとか。
報道の通りとの前提での話ですが、元職員がよく口にしていたそうした言葉、小林よしのりの「下流老人は安楽死した方がよい~」という主張に似ているなと。元職員がその主張を知っていたとまでは思いませんが、小林よしのりのような人物がコメンテーターとして社会的影響力の大きいテレビ業界で持て囃されている現状は今後も今回と類似した性格の事件を発生させる土壌になり得るものとして非常に憂慮すべきものだと感じています。